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bobourata

脚本の勉強をしています。見た作品の事とか考えてる事を書くと思います。始めたばかりです

名前にまつわるあれこれ

 昨日の夜中、ツイッターで目にした辻仁成さんの投稿を繰り返し読んでいました。
 

 

辻さんのつぶやきは、140字の中にも物語が見えるからとても好きです。

お子さんの十くんとのやりとりがよく書かれているんですけど、辻さんが切り取った日常は、ドラマチックであたたかくて、でも浮世離れしたものでは全くなくて、私の身の回りにもありそうなとても身近なことに目が向けられています。
辻さんの文章を読むと、日々の暮らしの中でせわしなく変わる私の中の“物事を見る視点”が、いい意味でリセットされるんです。
辻さんの著書の中でいちばん好きなのは「そこに僕はいた」というエッセイ本で、中学高校時代、私の“物事を見る視点”の物差しになってくれて、日常生活でつまずく度に助けてくれた本でした。
 
そんな辻さんのつぶやきを見ながら、「名前ってその人を作るね、」という言葉の意味を考えました。今日は、ぐるぐる頭を動かしている中で、思い出した話を書きます。
 
 
私の本名は、あちこちに同じ名を持つ人がいる名字と、珍しいねとよく言われる名前で構成されています(季語で使われるような言葉が名前なので、俗に言うキラキラネームではないです!)。
 
子どもの時は、ひどいあだ名をつけられては毎日のように名前をからかわれたので、ずっと自分の名前が嫌いでした。中学では、入学直後に「名前が調子に乗っている」という斬新な理由で、先輩に目をつけられた事もありました。
でも、大人になると状況は一変。初対面の人にもすぐ名前を覚えてもらえるし、名前の由来は何なんですか?と名前にまつわる会話が自然と始まることも多々あって、人とコミュニケーションを取るとき名前にはたくさん助けられました。
 
そんな私の名前ですが、小学生くらいの時に何回かお母さんに「どうしてこの名前をつけたの?」と由来を聞いてみたことがあります。でも、響きが好きだったからだよ〜とか、昔から子どもにつけたい名前だったんだ〜とかって、私の求めるような具体的な答えを言ってくれたことは一度もありませんでした。
道徳の授業で親から名前の由来を教えてもらう課題が出た時も、周りの子は名前の文字ひとつひとつに意味が込められている中、私の由来は実にふんわりしたもので、私の名前はなんとなくつけられてしまったものなのだろうか…と、なんともいえない気分になったこともありました。子どもの時の私は、名前コンプレックスが強かったので、余計に名前に意味を求めていたのかもしれません。
 
そんなこともありながら、20歳にまで成長したある日の話。
もろちゃんという学校の友達と話していた時のこと。教室でお昼を食べながら吉本ばななさんの話になりました。ばななさんの作品についてあれこれ語るうちに「そういえば、吉本ばななを初めて読んだのいつだった?」という話になって、私は、小学4年か5年の時にある日お母さんから「これすごい面白いのよ!読んでみて!」と突然『キッチン』の文庫本をもらったから読んだのが始まりだ、と話しました。
すると、もろちゃんに「えー!あなたの名前って、もしかしてばななさんの作品からきてるの?それとても素敵だね!!」と言われました。
 
ん?ん?と、理解が追いつかず、自分がもろちゃんに話したことを頭の中で整理すると…あ!点と線がつながりました。
 
『キッチン』の文庫本には、キッチンの後に『ムーンライト・シャドウ』という短編も掲載されているのですが、その短編に私と同じ名前のキャラクターが登場するんです。(キャラクターの名前は平仮名で、私の名前は漢字なのですが、当て字でキャラクターと同じ読み方をするんです)

もろちゃんは、私と同じ名前のキャラクターがとても大好きだそうで、私の話を聞いたあと「素敵なお母さんだね~いいねぇ〜」と勝手に盛り上がってくれました。
 
もろちゃんとこんな話をした後、ムーンライト・シャドウを読み返してみました。私と同じ名前のキャラクターは、別に何か大きいことを成し遂げるわけでもない、なんてことないキャラクターなんですけど、とてもさらっとした魅力が詰まっていて、自分の名前の由来がこのキャラクターに詰まっているんだとしたら、うちのお母さんはロマンチストすぎる、と思いました。
お母さんから本を渡された時「あなたと同じ名前のキャラクター出てくるよ」って言われただけなので、私の名前に繋がるはっきりとした由来はないかもしれないですが、キッチンが出版されて大ブームになった頃のお母さんは高校生だったので、初めて読んだ時にこのキャラクターにビビっときて、私がお腹の中にいた時にそれを思い出して名前をつけてくれたのかな、とか、あれこれ想像してしまいました。
 
真相はどうであれ、自分の中で過去の出来事がいろいろ繋がった気がして、少し感動してしまった忘れられない思い出です。
 
余談ですが、もろちゃんと私の何気無い会話が壮大な話になってしまった、というロマンチックなエピソードは他にもあるので、もろちゃんはまたブログに登場すると思います。もろちゃんとは、私が勝手に心の友だと思っている大切な友達です。性格も趣味も共通点あるようでないんですけど、似たアンテナを持っているかけがえのない人です。今はもろちゃんが札幌にいるので、何年かに1回しか会わないような仲ですが、友達です。映画ヲタ仲間でもあります。そうそう、『ファニー・ゲーム』&ミヒャエル・ハネケ好きのやばい子とは、もろちゃんのことでした!(もうすでにブログに登場していました)
 
…話戻します
 
このもろちゃんとの会話を思い出す度に思うのは、名前の由来を知るって、人に自分の名前を知ってもらうのと同じぐらい意味のあることだなということです。
 
 
時々、周りにいる人の名前の由来を想像する遊びをします(はずかしいですが、本当の話です。変態っぽいかなと思って、身近な人にも言えたことがないのですが、楽しいので時々しています)。人の名前の由来を考えていると、その名前は誰がつけたのかな、とその人の家族にまで想像が及んで、それが次第に、その人は子どもの頃どんなあだ名で呼ばれてたのかな、とか、その人はどんな日に生まれたのかな…とかって、その人の人生背景にまで想像が膨らむんです。
と、いつも想像を膨らませすぎるので、本来の目的を見失ってこの遊びは終わることが多いのですが、この遊びをする度に、名前とは、不思議なものだなぁ。奥深いものだなぁと感じます。周りにいる人の名前にちょっと踏み込んでみると、相手の知らなかった一面が見えてくることもあるから楽しいです。
遊びばかりではなく、ちゃんと答えを求めて友達から名前の由来を教えてもらうこともありますよ。これは本当におすすめです。人の名前の由来を聞くって、日常だとこっぱずかしくてなかなか出来ないですけど、聞いてみるといろんなドラマが詰まっていて、すごく面白いです。
私も今度誰か友達に会うことがあったら、久しぶりに名前の由来トークしてみたいと思います。
 
 
以上、「名前ってその人を作るね、」という言葉を見て思い出した話その①でした。
 
というのも、名前にまつわる話にはもうひとつ大ネタがあるので、②ではそのことを書こうと思います。
 
ということで、つづく(^-^)/