学生時代の健康診断の話

先日、ネットでこんなニュースを見た。

「胸の音聞きますね」と言って“わいせつ行為”か 医師を逮捕 健康診断で18歳の女子学生の体を触った疑い

健康診断で女子学生に“わいせつ行為”をした疑いで医師を逮捕です。

警察によりますと、逮捕された名古屋市天白区の医師、岩崎博文容疑者(44)は4月、名古屋市西区の専門学校で、健康診断を受けた18歳の女子学生2人に「胸の音聞きますね。服上げて」などと言いながら体を触るなどした、準強制わいせつの疑いが持たれています。
女子学生の母親から警察に相談があり発覚しました。


取り調べに対し岩崎容疑者は「わいせつ行為はしていません」と容疑を否認しています。
この日は専門学校の新入生が健康診断を受けていて、警察は他にも被害者がいないか調べを進める方針です。

newsdig.tbs.co.jp

 

記事を読んだ日、ほとんど睡眠がとれなかった。

 

私も大学生のとき、全く同じような経験をした。新学期の健康診断の時のことだ。
感染病にかかり学校で実施された健康診断に参加出来ず、後日学校からの指示で行った地域の保健所?保健センター?みたいなところで被害に遭った。診察室には看護師さんが2人もいたのに、誰も先生の動きを止めてくれず、私が動揺しているのを察したのか、帰り際に「丁寧な先生なんです」と、フォローにも何にもならないことを言われた。

すごく傷ついたけど、当時の私は「こんなことで騒いでも誰も相手にしてくれないだろうしな……」「自分が気にしすぎているだけだよな……」と思い、どこに相談すればいいかも分からず、結局誰にも何も言えずにやり過ごしてしまった。
でも、その後も病気になって病院を探す度にこの時の経験がフラッシュバックして、身体に触れられる診察がありそうな時は、女の先生がいる病院にしか行けなくなった。

被害を受けた数年後、映像作品や本を通してフェミニズムについて深く学び、理解できるようになり、自分の視点で自分や女性の立場を客観視することができるようになって初めて、あの時の自分は何も悪くなかった、気にしすぎでも何でもなく自分は被害者だったんだと気づいた。
自分の身に起きたことをしっかり受け止め、理解できるまでに時間がかかりすぎてしまったことが、恥ずかしかったし情けなく感じたけど、でも、それもこれも知らないうちに社会から植え付けられていた価値観のせいだよな?と考えると、日本の「女の自尊心を削りまくる社会構造」そのものに怒りが湧いた。

大学生の時の私に、今の自分が持っている意思や知識やあれば、学校や先生に相談するなりして医者や医療施設に抗議できたかもしれないと考えるだけで、悔しくてたまらない。
私があの時行動を起こせなかったことで、私の後にも同じ被害に遭った人がいるかもしれないと思うと、余計に悔しい。

私に加害行為をした医師は、看護師たちの態度を思い出しても、おそらく常習犯だったのではないかと思う。
あの医者が今どこで何をしているか生きているのかも分からないが、聴診器をあてるふりをして行き過ぎた診察をしている医者は、直ちにやめてください。お願いします。

 

『サムジンカンパニー1995』を観た

去年の年末に鑑賞した。
とても感銘を受けてFilmarksの方に感想を書いていたのだが、今日ふとこの映画を思い出し、改めて、今の私に必要なエネルギーが詰まった重要な作品な気がして、せっかくなのでブログの方にもFilmarksに書いた感想をアップしておくことにした。

以下、感想文。

目にしてしまった問題、気になった違和感に目をつぶらないこと。

組織に所属していると、これが意外と難しくて、声を上げる人は煙たがられることが多いと思う(日本人は事なかれ主義が多すぎるし……)。

高卒という経歴だけで、能力はあるのに、雑用しか任されない女性社員たち。
着させられている制服が彼女たちの目印のようになっていて、制服姿の女性を見たら、男たちは「コーヒーをくれ」「タバコ買ってきて」と言って、彼女たちの話すら聞こうとしない。

会社が「TOEIC600点以上取れば代理に昇進できる」というので、彼女たちは、会社主催の『高卒社員向けTOEICクラス』に通っているが、「これは英語ができない私たちをクビにするために口実を作ろうとしてるだけだ!」と言う子もいる。
それでも、目の前の仕事や目標と向き合いながら、会社のために、自分のためにコツコツ頑張っている彼女たちを見ていると、そうするしかない現状の苦しさ、でも現状を少しでもいいからよくしたいから出来ることをやっていくんだ、という絞り出された勇気が入り乱れていて、これ1995年の話なのに、2021年現在の日本に生きる自分ともリンクしすぎて胸が苦しかった。

でも、勇気を出さないと何も変わらないから、変化を求めるなら、やっぱり少しずつでも行動していくしかない。
少しの勇気が、連鎖していけば、大きな輪になるし、何かを変えることができる。

こんなことが、今の日本に住んでいる者からするとおとぎ話のように思えるなんて本当に悲しいけど、

この作品は本当に面白かった。気持ちのいいさわやかな話だった。

この映画のように、変化を求めて勇気を出す人たちがちゃんと報われる社会であってほしい。

こういう映画が日本でも公開されたことに希望は感じた。





ぜひ観てみてください。

悪人伝のマブリーみたいになりたい

ギャラ支払います、初号試写決まったら連絡します、なので少々お待ちください、という言葉を信じて1年以上プロデューサーからの連絡を待っていた脚本協力で参加した映画が公開されるということを、ツイッターでたまたま目にした映画サイトのツイートで知った(この仕事をした時の出来事がトラウマ体験すぎて、その映画のタイトルを検索することすらできないでいた)。
未だにギャラは振り込まれてないし、試写も呼ばれなかったっぽいので、私は完全にナメられてるんだなと実感していてる。

脚本協力の仕事をさせてもらった時も、プロデューサーたちのやり口に、心をぐちゃぐちゃにされた(“脚本協力”という肩書きに込められた背景を想像してほしい)。
こうやって若手は潰されてきたんだろうかと見知らぬ誰かに思いを馳せずにはいられない体験だった。私のように、新人だからいいように利用され、やる気を搾取され、使い捨てられた人間がどのくらいいるのだろう。
誰のために、何のために(たぶん金のためなんだけど)、その映画をつくっているのか信念が見えない人たちを目の当たりにして悲しくなった。
私は、その映画が少しでもより面白くなってほしい、という気持ちで必死に頑張っただけなんだけど。

ギャラは必ず手に入れる。遅延利息も絶対もらう。でもその映画は観たくない。

ほんとに悲しい。でも私には目標があるから、必ずまた立ち上がるぞって決めている。



プロデューサーに改めて連絡する勇気を出すため、今の自分の気持ちを文章にしたら、少しだけどスッキリした。気持ちの整理もついてきた。そんな文章をスマホに眠らせておくのも文章に申し訳ないので、記念にブログにアップしとく

男女の立場が逆転した世界を描いたNetflixオリジナル映画『軽い男じゃないのよ』を見た

 

Netflixオリジナル作品『軽い男じゃないのよ』を見た。フランス映画だ。

 

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www.netflix.com

www.imdb.com

 

仕事でも成功し、イケメンで、女性を口説くのが好きな男が、ある日突然、男女の立場が逆転した世界に迷い込んでしまう。


女性中心に社会がまわっていて、男性は家事や育児に追われ、社会では不当な扱いを受けている。この世界の男性は、仕事で全く評価されないどころかちゃんとした仕事にもなかなかつけないし、容姿や身なりで価値をつけられるので、好きな服を着て、言いたいことを言い、自分らしく振る舞うと「男らしくないよ」と言われる。そんな世界に絶句する主人公。

男女逆転の世界に迷い込む直前に一目惚れした女性と再会したことから、話はロマンスの方向へ進んでいくが、ここでもよくあるラブストーリーが完全に男女逆転した状態で描かれていく。

 

しかしよくあるハッピーエンドでは終わらない。

最終的には、すべての人が男らしさ・女らしさに(意識的であっても無意識であっても)縛られて生きていることが、いかに自分の成長や人とのコミュニケーションの妨げになっているかが教訓的に描かれている。

この映画は、ラブストーリーではなく、最初から最後まで徹底したフェミニズム映画だった。

 


現実社会を女として生きている身としては、男女逆転した世界の中で戸惑う主人公の姿を爽快な気分で笑って見ていられたのは一瞬だけだった。

この映画は、現代社会に溢れる女性の不当な差別の現実を、ありのままに(男性に置き換えて)描いている。


性差別を客観的に見ると、いかにこの世の性差別が理不尽でおかしなことかがよく分かる。

当たり前なこととして受け入れてきた価値観も、客観的に見ると「こんなに変なんだ…」とゾッとする部分もあった。見ていて辛かった。

 

この映画の興味深いところは、女性がかわいらしく着飾ることが「女らしくない」とされているところ。

ようは、女性はラフでナチュラルでいることがいいとされる世界なので、ブラジャーをつけていなくても、メイクをせず外出しても「みっともない」と思われないのだが、スカートやワンピースを着たりハイヒールをはいたりメイクしたりすることは「女らしくない」とみなされている。

 

これは、現代社会に置き換えると、「男らしさ」という価値観が、時に男性の自由を奪っていることがあることを表現しているんだなと思った。

 

性差別は、男性にとっても、女性にとっても、自分らしく生きることの妨げになっている。

 

自分らしく生きられる世の中になるには、何が必要か?

 

この映画を見終わった後、

 

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの男も女もみんなフェミニストでなきゃ

を思い出した。

 

 

以下、アマゾンから引用

「わたし自身の、フェミニストの定義は、男性であれ女性であれ、
『そう、ジェンダーについては今日だって問題があるよね、
だから改善しなきゃね、もっと良くしなきゃ』という人たちです。
女も男も、私たち「みんな」で良くしなければいけないのですから。」

ジェンダーが世界のすみずみで問題になっています。
そこでわたしは今日、それとは違った世界を夢想してプランを練りはじめたほうがいいと呼びかけたいのです。
もっと対等な世界を。自分自身に誠実であることで、
より幸せになる男性たちとより幸せになる女性たちの世界を。
これが私たちの出発点です。
私たちの娘を違うやり方で育てなければいけないのです。 
私たちの息子もまた違うやり方で育てなければいけないのです。」

 

www.kawade.co.jp

 

 

これを見た後、いろんなことを考えていたら、自分のためにも、周りの人のためにも、社会のためにも、性差別がなくなることが理想だけど、実現する?不可能なのでは…?と、逆に痛いほど現実に引き戻された。

 

きっと道のりは長いんだろうな…

 

知的好奇心が刺激される面白い映画だったが、同時に、とても絶望的な気持ちにもなっている。

Orange Is the New Blackについて

『Orange Is the New Black』

Netflixのオリジナルドラマ。女性刑務所が舞台の物語。


これを見ていると、ブリー・ラーソンが『ショート・ターム』の時のインタビューで

年齢や体型や人種や肌の色が違ってもみんな同じ。誰もが辛い体験や美しい話など、物語を持っている。お互いを許し、理解することが大切で、それができれば私たちは大きな家族になれる」

と言っていたことを思い出す。

そのインタビューはこちらに載っています↓↓

dayslikemosaic.hateblo.jp

 

登場する受刑者たちがなぜ犯罪を犯したのか、ここに行き着くまでの背景も丁寧に描かれており、皆、ただ無茶苦茶やって捕まったのではなく、悲しい過去や深い闇を抱えていたり、自分ではどうにもできない社会の問題の犠牲になっていたりと、犯罪者とはいえ、かけがえない一人の人間なんだという事を強く訴えかける作りになっている。

シーズン1の冒頭数話は、刑務所にいる人たちがとにかく怖かったが、登場人物それぞれの人柄や背景を知るたびに、偏った見方をしていた自分にハッとさせられた。

 

好きなエピソードだらけだが、特に忘れられないのは、
Season 3  Ep13  信ずるは我のみ(原題:Trust No Bitch)
Season 4  Ep13  事実もみ消し指南(原題:Toast Can't Ever Be Bread Again)

 

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この画像は、このドラマの中で私が一番好きなシーン。

刑務所を飛び出して、みんなが湖に飛び込んでいく。
このシーンの解釈は何通りもあると思う。私は、何通りの解釈をしたか分からないくらい、何回もこのシーンを見ては、このシーンの中に込められたメッセージや意味を考えた。作り手たちはどうやってこのシーンを考えたんだろう……と想像するのが楽しい。
私はこのシーンを毎日思い出して、色んなことを考えている。